2.糖尿病治療を振り返る (徐々に起きた異変)
前回に書いたように、いま振り返れば糖尿病を甘く見ていたわけで、自分では食事に気を遣っていたつもりでも、通院を怠ったり、薬を飲んだり飲まなかったりしていたので、やはり次第に糖尿病は悪化した。
今ではヴィーガン食に変更して、インスリン注射が不要となる程に改善したが、それまでは間違った認識で糖尿病と向き合っていたのだ。
(2).合併症の数々
以下に今までの症状を記載する
1.歯が折れる
最初の1本目は40歳になる前だったと思う。現在では11本の歯が無い。
2.便秘になる
基本的に便秘がちである。
糖尿病の治療薬の副作用と聞いているので、それもあって薬をあまり飲みたくない気持ちがあった。
10日間以上の便秘になってから、病院に行くと入院治療になった。
これは5年経過してもう一回、計2回の便秘による糖尿病治療の入院をした。
3.腎臓の機能が低下
50歳を境に急に悪くなった。
クレアチニンは2.3まで悪化した。
現在のeGFRの値は30である。eGFRは腎臓がどのくらい機能しているかの目安である。つまり30%くらいしか機能していない。
4.心不全になる
酷い咳が1ヶ月ほど続き、呼吸困難になったので、近所の内科で診てもらったら、すぐに循環器のある大きな病院に転送された。
(いま思えばこの病院はファインプレーだったな)
そして循環器の病院で「今日は家に帰れません。このまま入院してもらいます」と言われた。このまま帰ると命の保障は出来ないとの事だった。
心不全により肺に水が大量に貯まった事が咳の原因だったが、仰向けに寝ると溺れたように息が出来ない状態だった。
心臓の冠状動脈が数ヶ所狭窄していてステントを入れて血流を確保する手術をした。
この時、6本のステントを入れ、心不全は改善したが、1年後の経過検査でまた狭窄箇所が2つ見つかり、再手術をした。
つまり現在は8本のステントが入っている。もう次はバイパス手術しかないだろう…
この事が食事を劇的に見直すきっかけとなった。
5.網膜症の状態がステージ5
いつ目が見えなくなってもおかしくないとの事。
この事も食事を劇的に見直すきっかけになった。
6.めまい
これは糖尿病の合併症なのかはわからないが、急に朝起きたら酷い目眩(めまい)で歩く事が出来なくなった。
病院で耳の検査や脳を調べたが物理的な異常は無く、処置出来なかった。この頃は血圧が高く、毎朝の血圧が190以上あった。睡眠時無呼吸症候群があると血圧が高くなるとテレビで見かけて、それが原因なのでは?と自分で思い、枕を変えたら改善した。1ヶ月ほどで完全にめまいは無くなったが、血圧も注意しなければならない
上記の様に様々な症状が現れたが、自分ではこれ以上どうやって糖尿病を治療していけば良いのか悩んでいた。
とはいえ、1日あたりの摂取カロリーは2500kcal以下では抑えていたはずで、これ程 悪化するとは思っていなかった…
そもそもストイックに制限出来ればこの病気にはならない訳だが、それが出来ない人が多いから糖尿病患者が減らないという事も考えるべきなのかも知れない。
会社ならルールを作っても守れなければ違う策を練る。頭ごなしにルールを守らせるのは根本的解決にはならず、続かない。
私の場合は「ヴィーガン食」にするというルールを取り入れてみて改善したのだが、ヴィーガンは比較的新しい食文化なので、成人病に効果があるとは誰も言わない。
ところが海外でヴィーガンが流行りだしているのは、栄養学的な根拠を元に成人病対策になるからである。
けしてダイエットや動物愛護や環境問題だけがテーマではない。
しかも、世の中のイメージではヴィーガンは「新しい物好きだ」とか、「女子うけ狙いとか」などと言われ、あまり良いイメージが無い。
だが私がヴィーガンに切り替えただけで糖尿病が治ったのは事実である。他に運動や糖質制限はしていない。
この驚くべき効果を成人病で長く悩んでいる人に知ってもらいたいと思い、記事を書いている。
1.糖尿病治療を振り返る (はじまり)
私が糖尿病になったのは35歳くらいの頃。2021年現在53歳。
これまで合併症で苦しんでいたが現在驚くほど改善し、インスリン注射も血糖降下薬も不要となった。
これまで私がしてきた事を振り返り、成人病で悩んでいる人の参考になればと思いブログを始める。
(1).糖尿病は若いうちは全く気にならない
35歳頃、健康診断で血糖値が引っ掛かり、病院で再検査すると、糖尿病の初期だから気を付けろとに言われた。
私の父親も35~36歳頃に糖尿病と診断され、1ヶ月程入院した事を覚えている。父はそれ以来糖尿病が悪化することは無かったが、毎日酔うまで酒を飲んでいたからか、通院と軽度の投薬は一生涯続いた。
世間で言われる「糖尿病」のイメージは、以下だろう。
1.足が腐り、切断することもある。
2.目が見えなくなる。
3.心臓病になり心筋梗塞で死ぬ。
4.腎臓が悪くなり透析しなければならなくなる。
などなど、恐ろしい事を聞かされているのだが、私の父を見るととてもそのような事はなく、父は1度の入院だけで、その後はヘモグロビンA1Cの値がずっと5.5~5.7という優等生だった。(正常値は6.2以下であるので全く問題が無い)
ましてや糖尿病は遺伝の問題とも言われていたので、父の状況を見たら、息子の私が さほど悪くなる事は無いと思っていた。
だから、周囲や病院からどんなに糖尿病の恐ろしい合併症について聞かされても、それらは特殊な事例であり、ほとんどの糖尿病患者は合併症など発症せずにむしろ2~3ヶ月に1度の検査をしていて、健康的ではないかともおもっていた。
だが便秘がきっかけで、治療が必要な程の糖尿病の状態であることが発覚して糖尿治療では入院を2回したが(1度目はHbA1cが11.8、2度目はHbA1cが13.6)、それでも私は実際には体に痛みは無く、まだ「病院は無駄に怖がらせているんじゃないのか?」と考えていた。だから退院後も食事に気を使ったり薬を飲んでいても、あまり改善しない状態に嫌気がさして「どうせ自分は合併症など発症しない」と正常性バイアスで考えて、通院も途中でやめたり、薬も飲んだり飲まなかったりしていた。
入院すれば数値はしばらく改善するが、深刻に糖尿病問題を考えていない生活をしているので半年か1年経過する頃にはまた数値は悪くなる。
とは言っても、一応 糖質を気にする生活はしていた。
1.甘いジュースは飲まない
糖分が入った飲み物は一切飲まない。お茶やブラックコーヒーだけ。
2.料理で砂糖は全く使用しない。
3.フルーツは控える
4.炭水化物は控える
米やパンなどは控えて、たんぱく質を多く取る。いわゆる「低糖質 高蛋白」を心掛けていた。
5.赤身の肉にする
たんぱく質の摂取には、脂身の少ない鶏肉をと気にしていたが、豚肉や牛肉も食べていた。
(比率としては鶏肉40%、豚肉40%、牛肉20%と言う感じか…)
6.酒は蒸留酒にする
ワインや日本酒やビールは飲まず、焼酎やウィスキーなどを飲むようにする。
というくらいか…
多分、世の中の多くの成人病患者がしている事だろう。これが通風患者でも同じように「糖質」ではなく「プリン体」に変わるのだろう。
いま振り返れば、上記の「4と5」が糖尿病が改善しない原因だった事は後に書く。
糖尿病の栄養指導では、糖質やカロリーについて聞かされる。
カロリーについてはとても私が守る事は出来ない制限である。
(まぁそうやって言い訳してるほど糖尿病を甘く見ていたのだが…)
病院からは1日1950kcalを推奨されたが、多分1日2000~2500kcalくらい(平均は2200くらいか)摂取していただろう…
この頃は、せめて糖質だけでも制限していれば重度の合併症にはならないだろうと考えていた。
だがこの後、私の身に起きた症状を書いていく。